トップメッセージ坂入産業創立50周年に寄せて

創業期からバブル期を経て

 1969年4月9日、坂入正昭が東京都荒川区東日暮里に株式会社坂入観光会館を創業。ここに株式会社坂入産業の歴史が始まりました。先代は元々理容業界で活躍した事業家でしたが、この年に新規事業の一環として、1〜3階に結婚式場、4〜6階に分譲住宅を配したビルを日暮里の地に建設します。これが、第一号物件「グリーンパーク三河島」で、その建物は現在では坂入産業の本社として私たちの活動拠点となっています。
 その後、先代社長は、複数あった事業を不動産に一本化していきます。1971年には「坂入産業」に商号変更。1973年には坂入建設を設立。さらに1988年には「坂入産業一級建築士事務所」を設立し、現在の自社一貫体制の土台を築きました。
 私が入社した1990年当時はバブル景気の真っ只中で、マンション分譲事業は好景気に支えられ、飛躍的に売上げを伸ばしました。しかし、その後数年でバブルは崩壊し、当時、埼玉県や栃木県、茨城県の地方都市を中心に展開していた当社のマンションは軒並み売れ残ることとなりました。このとき私は、在庫を売りさばくことに日々苦闘しながら、この事業が景気の波に左右されやすい非常にハイリスクなものであることを強く認識したのです。



都心供給へのシフト

 こうした経験から、私は1999年に代表取締役に就任した際、景気の波に左右されない事業のあり方を模索しました。ヒントになったのは、「GREEN PARK新宿の杜」の成功でした。それまで当社は地方都市や東京近郊の若い第一次取得者をターゲットとした分譲事業を行っていましたが、都心には、それまでとまったく違う層のお客様と、セカンドハウスや住み替え、相続対策といった多様なニーズが待っていました。都心物件の場合、資産価値を求めて購入するお客様が多く、景気の波に大きく影響を受けることはありません。「景気の波の一番底をみていないとこの商売を続けるのは難しい。底をみておけばまず間違いない。」と考えた当社は、これを機に都心エリアに特化したマンション事業に舵を切ったのです。

 以来、坂入産業は、中央区日本橋界隈を中心にマンションを供給し続けてきました。2008年にはリーマンショックという不況の波が押し寄せましたが、当時販売中の2物件は竣工前に無事完売となり、都心特化という戦略の確かさを揺るぎないものにしてくれました。


GREEN PARKのアイデンティティ

 かつての日本橋は純粋なオフィス街で、土日になると人がほとんど歩いていないような街でした。しかし、およそ20年がたった今、休日の街にはお子様連れのファミリーを見かけることが当たり前になっています。都心に暮らすという新しいライフスタイルの定着に微力ながらも尽力してきた経験は、当社の誇りであり財産といえるでしょう。
 一方でこの20年間は、「GREEN PARK」の供給を通じ、当社らしいものづくりのあり方を模索してきた時期でもありました。中でも、全社一丸となって創り上げた「GREEN PARK駒込染井坂」は、当社のクリエイティヴィティに大きなステップアップをもたらしました。年を重ねる人々、風化していく建物、そこには人と建物の共生があり、それらを優しく静かに映し出すための装置として、デザインと空間の細部までこだわり抜く。少数とはいえ、全ての部門が揃った自社一貫体制の会社だからこそ、それが可能なのだと思います。また、それは私たちのアイデンティティであり最大の強みといえるでしょう。


感性の時代の幕開け

 今後、私たちが主戦場とする都心はどのように変化していくのでしょうか。不動産業界のこれまでの仕事は、住宅やオフィスなどの空間を提供することでした。
 しかし、今後これらの空間は、IoTやAIといった先端技術と連動することによって、人々の暮らしの様々なデータを受け取ることが可能になります。収集された膨大なデータは、人々の働き方や住まい方をますます効率化し、暮らしにまつわる需要にも大きな変動をもたらします。その結果、空間づくりには、今までになかった多様性や柔軟さが求められるようになるでしょう。

 また、これらの技術革新によって、都心と郊外、あるいは都市と地方といった地域間の境界も緩やかになっていきます。都心機能の一部は利便性の良い郊外に分散し、都市機能の一部は利便性の良い地方に分散していくことでしょう。今、東京都心には、日本の社会や日本を代表する企業のあらゆる機能が集中していますが、これからは、中枢機能だけが残されることになり、様々な側面において、質の高いモノ・コトが高密度で集中するエリアへと生まれ変わるのです。

 しかし、今後IoTやAIによる効率化がどんなに進んでも、人間にしか担うことができない重要な役割があります。人の幸せとは何か、そのためにどのような価値を生み出すのか。それを考えるのは、人間の使命です。これからの時代、人間には今まで以上の感性が求められ、それを磨くことが何よりも大切になります。そして、感性を磨くために不可欠なのが、多様な人々とのコミュニケーションです。中でも、中枢機能だけが集められた密度の高いエリアへと進化した未来の都心では、新たな価値を生み出すためのより高度なコミュニケーションが必要とされることでしょう。
 私たちはGREEN PARKとともに東京の中心に立ち続けたいと考えています。私たちは、私たちにしかない感性を身につけ、私たちにしか見えない本物の価値を、このエリアで探し出していきたいと考えています。

これからの50年に向けて

 50年の節目にあたり、私は今、会社が大きく成長することよりも、会社が長く続いていくことに使命を感じています。会社を長く継続していくためには、GREEN PARKのブランドイメージを確かなものとし、そのクオリティを日々高めていかなければなりません。私たちはこれまで自社一貫体制の下、一貫した核だけを残し、人員を抑制し、販売戸数を抑制してきました。これは私たちの基本姿勢であり、クオリティを高めていくための大きな選択でした。怖いのは何もしないこと。私たちはさらなる50年に向け、変えなければならないことと変えてはならないことをしっかりと見極めながら、これまでと同様、私たちにしかできない住まいづくりを真摯に追い求めていきたいと考えています。


このページの先頭へ