Porch COLUMNぽおちコラム
2025 夏季号「原風景」
2025 Summer

人には原風景というものがあります。
それは、幼い心に深く刻まれた、懐かしさや安らぎのある風景です。
私が生まれたのは、北陸地方の山深い集落の一つでした。
手取川という川が流れ、その源流は古くから信仰の山として知られた白山にあります。
その最上流では、清流に沿って谷深く小さな集落が点々と続きます。
私の原風景は、生まれた集落や、そこからさらに上流にある夏場だけの集落にあります。
上流の集落が賑わうのは、川の砂防工事が行われる夏の数カ月で、白山の登山客も訪れます。
砂防工事では、集落の人々も人夫として働き、季節労働の人々も外から集まってきます。
夏が過ぎ、季節労働の人々や登山客がいなくなった集落は、川の音だけとなり静まり返ります。
夕刻、谷底からは四方に切り立った山肌が見え、日の光も落ちて山肌を青く染めます。
生まれて五歳まで、私は生まれた集落や上流の集落で育ちました。
生まれた集落には、祖母の小さな雑貨店だけが一軒あり、母が手伝っていました。
母は春になると、小さな私を連れて上流の集落に出店を出して、その夏を過ごします。
標高が高かったせいか、日中は涼しく過ごしやすかったことを覚えています。
母の店には、季節労働の人々がやって来て、量り売りの酒や缶詰、乾物等を求めていました。
私の遊び場は店の中で、一人になると絵本を見て、消防車やパトカーに心を躍らせました。
店のお客さんにはよく遊んでもらい、その中の一人がこんな話しをしてくれました。
あの山のすぐ向こう側には、大きな街があって消防車やパトカーが走っているんだよ。
日の光が落ちて、切り立った山肌が青く染まる風景に、私は小さなときめきを覚えました。
集落は時折り大雨に襲われ、そのあと集落の低い平地一帯がきれいな雨水で覆われます。
きらきらと光る雨水の中を、何匹もの沢蟹があらわれ、ゆっくりと移動していきます。
谷を渡る風は、雨後の沸立つような湿気を吹き払い、私に未だ見ぬ淡い希望を届けました。
深い雪に閉ざされる前に、夏を過ごした集落の人々は下流の大きな集落に移ります。
冬の山間の集落の生活は、雪深く厳しいけれど、そこには閉ざされた幸せな世界があります。
生まれた集落は古くから信仰が深く、一年の終わりにご報恩講という仏事があります。
人々が寄り集まって、楽しく飲んだり食べたり踊ったりする姿が今でも浮かび上がります。
私は五歳を過ぎたころ、父の仕事の都合で手取川の下流に近い大きな街に移り住みました。
どれも幼い頃の実際にあった風景ですが、心象的な風景として今も鮮やかに残っています。