TOKYO TRAVELOGUE東京紀行

奇想の建築家

2024 Winter

秋も終わりを告げ、時折厳しい寒さをみせる11月下旬。
絵にかいたような小春日和。
散策には絶好の機会だった。

霊獣

もともと京都や伊勢のように古風な街並みやレトロ建築を観て回るのが好きなのだが、文京には「鳩山会館」や「小石川後楽園」、「湯島聖堂」といった数々のレトロスポットや文化財があり、以前から魅力を感じていた。

その魅力の正体を探るべく「文京ふるさと歴史館」に向かったのだが、一歩踏み入れるとそこには充実した資料や展示物が四方に広がり、まるでタイムスリップしたかのようなワクワク感に包まれた。なかでも地下の特別展に、一瞬で目を惹かれる不思議な生き物の絵や写真が並んでいるのを見つけた。

【霊獣】。初めて目にする言葉だ。もちろん、聞いたこともない。調べてみるとそれは妖怪の一種であり、神聖で不思議な力を持つ、縁起の良いもののようだ。

どうやら【伊東忠太】という建築家の作品らしい。近代日本きっての奇想の建築家で、日本建築史の創始者でもある彼もまた、東大が輩出した偉人であり、この地で晩年を過ごしたようだ。

実は“建築”という言葉はそれほど古くはなく、以前は“造家”と呼ばれ、明治時代に英語のArchitectureの訳語として「建築」と改めたのがこの伊東忠太とのこと。
築地本願寺や京都の祇園閣、そして湯島聖堂など、和洋折衷の独特な様式をもつ作品を数多く建築してきたらしい。

なるほど、著名な建築家であることに間違いはないと思いながら写真に写る建物をみると、その奇想っぷりがすぐに分かった。建物の至る所にその不思議な生き物が棲息していたのだ。

実は伊東は“妖怪建築家”と称されるほどに性来の妖怪好きで、幼い頃は母親から聞くおとぎ話のなかでも妖怪が出てくる話には一段と興味を示していたらしい。三つ子の魂百までというように、建築家として大活躍していた時代も、晩年も変わらず、毎日のように風刺画を描き、多くの動物や妖怪を描いた。

彼の妖怪好きは半端なものではなかった。建築物に化け物を棲ませているだけでは飽き足らず、もともと漫画家を目指していた伊東は「妖怪研究」「化けもの」といった書物も残すほどだった。次の言葉に彼の意図が読み取れる。

『縦横無尽の画材があっても、一点の空想を欠くものには化けものは描けない』、『化けものは決して誰にでも描ける芸当ではない』、こう言い放つあたり、伊東の妖怪への相当な入れ込みようが伝わってくる。

伊東は化けものを芸術上かなり面白い題材と捉え、中国やインドなど世界中の生き物を取り入れた建築に関心を寄せていた。

幼少から好きだったものを芸術的な視点で捉え、自身が生業とする分野で評価されるような作品までに昇華させるほどの熱量に感服し、時を忘れて解説を読み漁った。

そんな彼の芸術的奇想っぷりが全面に表現された代表作の一つが湯島聖堂だ。そこには【霊獣】が思う存分散りばめられていて、もはや建物観察より霊獣探しに夢中だった。
歴史館では写真で【霊獣】が紹介されていたが、リアルな生き物というよりイラストチックで可愛らしいフォルムが大半だったのも、漫画家の片りんが感じられ、気付けば伊東の世界観に引き込まれながら、奇才をも育む、この地の懐の深さをしみじみと感じた。

終始【霊獣】探しに夢中だったが、これこそが伊東建築の醍醐味なのだろう。
我ながら、すっかりハマってしまった。
次の週末は『伊東忠太動物園』を片手に伊東忠太建築の隠れた【霊獣】を探す新たな旅に出てみようと思う。

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