突然ですが、皆さま。「クリエイター」と聞いてどんな方々を想像されますか? WEB、映像、ゲーム…、そんなデジタルな方々を真っ先に想像されるのではないでしょうか。
時代がアナログからデジタルに移行しても、我が国日本には「職人」文化が今も脈々と息づいています。もちろん作り手である職人にも、その成果物を感じて評価する受け手である消費者にも、あらゆる領域で「クリエイター」に必要な素養の一つ、いわゆる職人魂が受け継がれてきました。
こだわりがこだわりを生む相乗効果が、厳しい目となり、この世の中をより良いものにする原動力となって、「クリエイター」を生み出し、磨いているとも言えます。特に東京の都心部には、感度の高いヒトやモノが数多く溢れ、「クリエイター」を育む素地が整っているのです。
例えば、千代田区の神田エリアには、職業名がそのまま町名として付けられた土地が今もたくさんあります。代表的なところだと、鍛冶町や紺屋町など。それぞれ、金物を作る鍛冶屋、紺の染物職人が住んでいた町です。
家康は江戸の城下町を築く際、特別に腕のいい職人を日本中から呼び寄せ、同じ職業の人を一つの町に住まわせました。職人たちは互いに刺激し合い、切磋琢磨しながら腕を磨いていきました。
綱吉による奢侈禁止令などにより、庶民は贅沢を禁じられ、着物は藍色、茶色、鼠色の3色のみに制限された時代にも、他の人と違う着物を着たいという庶民の期待に応えるべく、紺屋町の染物職人たちもあれこれ試行錯誤しながら絶妙に濃淡をつけ、新色を作り出していきました。実は藍色だけでも、何と48色もの種類があるとされています。決して華やかではありませんが、こうして粋で洗練された日本の色彩文化が育まれていきました。その微妙な色彩の違いを当時の人々は見極め、楽しんでいたのです。
現に我々は諸外国の中でも特に色彩感覚に優れ、色の絶妙な違いや深みを見分ける力が備わっていることが立証されているようですが、日本独自の繊細な美意識の基礎を作り上げていったのは、やはり、こうした職人たちのたゆまぬ努力とそれに応える人々の飽くなき欲求の賜物なのです。
さあ、次は我々の番です。作り手であっても受け手であっても、「クリエイター」として日本の美意識をさらに磨き上げ、後世に伝えていこうではありませんか。